インスタ映えがクライミングを衰退させる

インスタ映えがクライミングを衰退させる

僕がクライミングに魅力を感じたのは努力した奴が一番になれるスポーツだと思ったからです。

最近のクライミングは【映え】を意識し過ぎてしまっているのではないか⁉そんな風に感じます。

努力をして出来なかった課題が出来るようになったり、グレードを上げるために切磋琢磨するのが、クライミングではないだろうか?

この深みが無くなった、見た目だけのクライミングは【映え】ブームが去ると同時にクライミングが衰退するのではないでしょうか?

 

そもそもカッコイイとは派手な動きをすることでは無く、全力で登ってる姿なんじゃないでしょうか?

己のレッドポイントを超えるのは魅力的だし、何年もかけて登れなかった課題が登れた時の感動は人生の中で中々得られない喜びですよね。

目次

 

僕がクライミングを始めた頃は見た目よりも中身重視だった気がします。「どれだけ悪いホールドが持てるか?」「悪いホールドを引いて登れるか?」って言うのがポイントだった。努力をして強くなった奴が一番って感じだったと思います。

だから楽しむことが二の次になるくらい強くなることを求めていたし、それが一周回ってとても楽しかったのです。

 

これが少しづつ時代と共に変わっていき「わかる奴だけがわかればいい」じゃ駄目だと、綺麗でかっこよく苦にならない今のスタイルになったのだと思います。

 

このお陰で世の中にクライミングは浸透していって誰でも楽しめるスポーツになったのでしょう。

 

誰でも楽しめることと中身が無いのは違う?

クライミングをいろんな人に楽しんでもらい、世の中に広まっていくことはとてもよい事だと思う。

 

それが、本来のクライミングと大きく外れてしまっては進むだけ進んでブームが去った時に、どれだけの人がクライミングを続けてくれるのでしょうか?

 

大きい人が有利な課題を増やすことが競技人口を増やす方法だと言う人もいるそうです。

確かにどのスポーツも大きい選手の方が有利でしょう。それに大きい選手が活躍するスポーツは人気があります。

 

でも努力をせずに届いてしまうランジや、リーチで壊せるコーディネーションにどれだけ人の心は動かされるでしょうか?

 

今までのクライミングでリーチで左右される課題が良くないとされていたのは努力でリーチを手に入れることができないからです。

 

出来なくて何度も落ちてそれでも立ち向かってやっとの思いで登れた時に感動するのがクライミングの醍醐味だった気がします。

 

手に届きそうだったら登りきるだけ

もう少し保持力が付いてから登る。そう言ってトライをするのをすぐ諦めてしまう人が増えた気がします。

本当にできない課題なのでしょうか?100%の全力を出して無理だと悟ったのでしょうか?

 

それこそプロ選手のうまい登りを観て(ネットで簡単に見れる時代なったので)自分も似たように登ろうと綺麗さを求めてしまっているのではないでしょうか?

 

本当に強いクライマーは長年クライミングを続けたり、見えない所で努力をしていたり、特別センスがあったりします。

 

そういう次元の人達と普通のクライマーは全く違います。

まずは諦めず、汚くなってもいいので頑張って己の限界を超える所から始めてみるのが良いのではないですかね?

 

ジム側もそういう人達を応援して育成できる環境作りができたら良いですよね。

 

さいごに

 毎回こういうテイストのブログではないですし、こんな事ばっか考えてクライミングはやってないですよ。

ただあまりそれ過ぎない方が良いとは思うんですよね。

 


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